2010年5月1日土曜日

ブルー・ハワイ

 
ブルー・ハワイ

 20世紀の最強のアーティストが地球規模の雄大な「平和」を映画とレコードに包んで贈り物にした。それが『ブルー・ハワイ』だ。

『ブルー・ハワイ』はエルヴィス・プレスリー8作目に出演映画として、フィルムとレコードで供給された。1961年3月22日にハリウッド・レディオ・レコーダーズでサントラ・セッションとして録音。映画は1961年11月22日全米で公開された。

 エルヴィス・プレスリーの<ブルー・ハワイ>あるいは<ノー・モア>に惹かれる人の多くは、この涼しいイントロでグラッと和んでしまっているのではないだろうか?<ブルー・ハワイ>の恐るべき”イントロとNight and”強力タッグのパワーが果たした役割は大きい。このイントロはロックもブルースも関係ない。

ハワイまるごと濃縮した出合い頭の一撃で後はメロメロ、気がついたらアルバム一枚通しで聴いてしまっている。途中に少し気を取り戻しそうになるものの、すかさずうっとりするような歌声とメロディー、伴奏が出てきて、また魔法にかかったように心はすっかり時空を超えてハワイでエルヴィスと面会だ。

映画『ブルー・ハワイ』のタイトルバックに使われた<ブルー・ハワイ>のオリジナルはエルヴィスの大先輩格、ビング・クロスビーの1937年の映画『ワイキキの結婚』の主題歌として、ビング・クロスビー自身が歌って大ヒットしたもので「ハワイアン」ではない。その後シナトラはじめ著名な音楽家がカヴァーしているが、エルヴィス・バージョンは先輩たちをまるごと海の藻くずにしてしまったほどの魅力的な出来栄になっていると言っても文句ないだろう。

ビング・クロスビーはフランク・シナトラよりも前にアメリカの”アイドル”だった人物。しかも映画でもアカデミー賞を受賞している大物である。ビング・クロスビー自身が「エルヴィスの創造したものはすでに歴史の一部だ。なんと素晴らしいものを残していってくれたのだろう」と1997月8月16日に温かいコメントしている。

 想像するには、日本でエルヴィス・プレスリーの人気を決定づけたのは、「ブルー・ハワイ」だろう。もちろん、それまでも人気はあったが、多くの人は近寄りがたい存在であったのではないのか。それが一気に親しみやすい存在に変化したのは、美しいハワイの風景をバックに歌われる爽やかな歌の数々。それは日本に限った話ではなく、本国アメリカでも同じだったと

映画公開に合わせて1961年10月にリリースされたアルバム『ブルー・ハワイ』はアルバムチャート20週でトップを続けて新記録を達成している。クリスマス、正月にかけて全米を常夏ムードにしていたのだ。

吹雪の中を”夜とキミと、そしてブルー・ハワイ~”と口ずさみながら歩いていたといことか。さすが、これぞ、ヤンキー魂だ。やっぱりカラダは鍛えておかないとね。1961年当時は、クリスマスにはビング・クロスビーの<ホワイト・クリスマス>が巷を占領するのが定番だったはずだ。エルヴィスはクロスビー先輩には恨みはないものの、ダブル・パンチでKOしていたということになる。

本国ではシングル・カットされなかったが、さすがビクターは目のつけどころが良かった。サントラからスタンダードである<ノー・モア(ラ・パロマ)>とともにピックアップしてリリースしてしまった。そもそも、このアルバムは全曲シングルにしてもおかしくない出来栄だったのだ。

1961年のハワイ。
日本人のとってハワイは夢の島だった。一方はエルヴィスは海に沈んだアリゾナの前でコンサート開いている。『ブルー・ハワイ』は戦後でないことを知らせた映画だった。