2011年12月3日土曜日

好きにならずにいられない / Can't Help Falling in Love




好きにならずにいられない / Can't Help Falling in Love

賢者は云う、愚か者のみ、愚か者のみが事を急ぐと
だが私は、だが私は、
恋に落ちるのをどうすることも出来ない
もしとどまったとしても、それは、それもまた罪
恋をせずにはいられないのだとしたう

川が確実に海に向って流れるように
いとしい人よ、これもまたそのように、何かのさだめ
私の手を取り、このすべてのいのちを貴女のものに
なぜなら、恋に落ちずにはいられない
好きにならずにはいられない、私なのだから







この美しい楽曲が、多くの、それも確固たる立場を築いたアーティストに呼ぶにふさわしい人々にカバーされるのはどうしてか?
甘いラブソングでしかないように聴こえても、歌詞が語るのは、そうではない。曲の美しさと、歌詞の深さを聴けば納得する。


映画のために作られた、この名曲が挿入歌となった映画「ブルーハワイ」は、エルヴィス・プレスリーの歌と当時はまだ日本人にとっても遠い地だったハワイをドッキングした娯楽映画だが、その面から見ても、王者エルヴィスにふさわしく豪華版になっている。
リアルタイムで観た人は感動も半端でなかったように思う。映画もレコードもヒットしたのも納得だ。エルヴィスは両方で実験場にされたようだが、期待以上に応えたようだ。

当時はソ連(ロシア)との冷戦という不安はあったものの、ベトナム戦争もなくアメリカは平和を満喫していた。ポップスはその象徴のように明るく能天気だ。テレビ時代に拍車がかかるか、かかる前の状態ではなかったのか?もちろんモノクロだ。
映画はカラーの威力を発揮していて、ポップス+観光地の組み合わせで、ビーチ映画が続々と製作されていた。理由なき反抗」に代表される若者+反抗ではなく、若者+ビーチはクリーンカットの明るい若者をテーマにしていた。
この点ではエルヴィスも兵役もあって、長いモミアゲからクリーンカットにイメージチェンシしていた。

多くはB級作品で、コニー・フランシスの「ボーイハント」「渚のデイト」も同じジャンルに入る。クリフ・リチャードの「ヤングワン」もそうだ。しかしなんといっても代表格のスターが、フランキーアヴァロンだ。

ビデオショップに行けば「アラモ」で会うことができる。年若にして好青年なので、生き残る役を演じていて、すぐに分かる。フランキーアヴァロンは「アラモ」が映画デビュー作だったが、ビーチ映画で水を得た魚のように、このジャンルのスターになった。

このジャンルでは AIPがツボを心得ていて無類の強みを発揮した。フランキーアヴァロンをメインにして、続々とフレッシュな俳優を起用した。大スターの息子、娘も、テレビ、音楽界の人気者も大量に出演した。ジェームス・ダーレン、パメラ・ティフィン、コニー・ステーブンス、ジャッキー・デシャノンバーバラ・イーデン・・・キリがないのでやめておくが、ファンだった人も多いはずだ。ラクエル・ウェルチもそうだ。



明るく楽しい青春映画の代表にして別格だったのがエルヴィス映画、とくに観光地と組み合わせた「ブルーハワイ」のような作品がそれで、大作の風格がある。

しかしこの潮流も1966年、ドラッグ、ポルノ解禁、ベトナム戦争で突如終わる。
国は荒れ、街も荒れた。人も変わったし、そうでない人も変わらざるを得ない時代になった。

エルヴィス・プレスリーは社会を変えたが、今度は社会が”キング・オブ・ロックンロール”エルヴィス・プレスリーを衰退期に追い込んだ。そういうわけだからエルヴィスの人気が落ちたというより、社会の変化に合わせて生きるために価値観を変えざるを得なかったのだ。

生きるためだ。歌も映画も、生きるためのエネルギーなのだ。時代に合わせて呼吸しているのだ。その呼吸を自分の呼吸と合わせて、エネルギーにできるのだ。

映画「ブルーハワイ」にいまのハワイの面影はない。さかのぼって「地上より永遠に」のハワイはもっと違う。同じことは「オーシャンと11人の仲間」「ラスベガス万才」と現在のラスベガスの関係にも言える。

だから映画を観ても呼吸が合わない。タイトルバックの景観からして違う。自分が最初に行ったハワイともすでに違っていたのだから、違うのが当たり前だ。それでもハワイ島などに救いを感じる。

時の流れと呼吸のリズムの変遷を超えて、<好きにならずにいられない>は、歌い継がれている。自分を信じて生きるという潔いメッセージに昔もいまもない。責任を自分で引き受けて生きる情熱に変わりはない。

<好きにならずにいられない>は甘いラブソングだが、どうもこの曲について書くのは苦手だ。好きなら好きでいい。それだけでいい。


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